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2013.10.01

セリカXX(ダブルエックス)への想い

 先日、最寄りのトヨタカローラ店へ行ったときのこと。ヤードの片隅に駐まっていたクルマに眼を奪われた。

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 4代目(正確には2代目後期型)セリカ・ダブルエックスの北米仕様"SUPRA"だ。なんと懐かしい。私が最も愛した?かつての愛車が左ハンドルになってそこにある。きっと維持には相当な手間とお金がかかっているのだと思うけど、今でも現役で乗ってくれているオーナー氏に敬意と感謝の意を表したい。

 そんなわけで、私なりにかつての愛車セリカ・ダブルエックスに対する「あの時の想い」を書いてみようと思い立った。幸い当時のフィルムもちゃんと残ってたしね。

 セリカがデビューしたのは多分私が中1くらいの時、当時はなんてカッコいいクルマなんだろうと思ってはいたけれど、まだまだガキだったし憧れの対象でしかなかった。
 でもそれから何年かするとセリカにLB(リフトバック)という車種が登場した。和製ムスタングみたいに言われたダグテイルのデザインが、高校生になっていた私の心を捉えて離さなかった。「いつか絶対にこのクルマに乗るんだ!」

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 それから幾星霜・・・セリカLBはダブルエックスとなり、エアロダイナミズムなどという外観上の低迷期?を経て、1981年に再びダグテールと新たにリトラクタブルヘッドライトを採用して大幅にモデルチェンジ。リニューアルデビューを果たした。

 何故これだけ発売年を覚えているかというと、その年の東京モーターショー(当時はまだ晴海ね)で「1G-α(GEU)」という直6DOHCのエンジンを積んだモデルが発表されたからだ。たしか「トヨタ2000GTの血統」みたいなキャッチフレーズだったと思う。

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 これらの画がその年のトヨタブースのもの。いつもならコンパニオンのお姉さんばかり撮っているのに珍しい。このクルマだけは強い憧れがあったから、ちゃんと撮っていたのだろう。

 当時、社会人になってまだ日の浅い私は、父親からのお下がりの S49年式コロナ・マークⅡに乗っていたのだけれど、この日を境に猛然と貯金を始めた(^^;

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 それから2年半後、1984年の3月。前年にマイナーチェンジが加えられ、ドアミラー化の他、フロントにより大きめのエアダムスカートが装備された「Celica XX 2000GT Twincam24」が納車となった。どれほど誇らしくて嬉しかったことだろう。中坊で初代セリカに憧れて以来だから、15年ほども経ってようやく手に入れることができたわけだ。

 直6DOHCのなめらかな吹け上がりに、当然5速MTの組み合せ。そしてラックアンドピニオンに四輪独立懸架のサスペンションは、実に楽しいハンドリングを提供してくれた。その前のマークⅡがどうにもかったるかったから、その楽しさはたまらなかった。

 また毎週土日になるのが待ち遠しくてならなかった。当時は信州に住んでいたので、峠を攻めるも高速を流すも自在だった。お馴染みの峠道や家内の家に至る道などは、どこでシフトダウンして、どのタイミングでアクセルを開けるかを身体が覚えていた。とにかく運転するのが楽しかったのだ。
 LSDをオプションで追加していたから、雪道でも随分助かったんだっけ。

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 上の絵は相模湖の上流部のどこかで撮ったもの。どこもいじらず最後までノーマルのままで乗っていたのだけど、今でも充分カッコイイと思う。
 そうそう、軽井沢の駐車場でのこと。このクルマをバックに記念写真を撮ってくれたカップルがいたなぁ。照れくさかったけど、とっても嬉しかった。

 それから結婚して家族ができ、東京へ戻った。幼稚園の送り迎えなどで家内が運転しやすいクルマとして「カローラⅡ」に買い換えるまでの約10年、日常の足としてもずっと活躍してくれた。他に様々な新車が登場してきても全く食指を動かされることはなかった。手離すのは本当に惜しかった。・・・FF且つATのカローラⅡにしてからはドライビングの楽しさがどんなに色褪せてしまったことか。まぁ、仕方がない。

 どうやら今では、セリカという車種もスープラという車種もトヨタのラインナップからはとっくに消えてしまったそうだ。かろうじて「86」なる富士重工製のクルマが出たものの、FRのスポーティーカー、そんなものを作る余裕はなくなってしまったのだろうなぁ。
 トヨタ信者とまで言わないまでも、ファンとしてトヨタ車に乗り続けてきた私だけど、その私が手を出せる価格帯に乗りたいと思わせられるクルマが現在のトヨタにはなかった。
 "Fun to drive, again" このフレーズが、あまりにも虚しい。そう思ってしまうのは私だけだろうか。

 やっぱりクルマはFRのマニュアルミッションだよねぇ・・・などと言いつつも、家族の猛反対でオートマというかCVTのクルマにせざるをえなかった私。忸怩たる思いを抱きつつも、それなりに満足なSJフォレスター君で娘達の送り迎えをしているお父さんなのでした。

 嗚呼、セリカ・ダブルエックス。そしてFRマニュアルミッション。

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コメント

はじめまして。
小生と同じような経緯です。中学生のときCELICAが発表され
まさに「未来から来たくるま」と強烈な印象を受け、国道でたまに
見るたびに「いつか俺も買ってみたい」と免許もないくせに・・・
21歳で免許をとり、社会にでて仕事をしても当時何も魅力ある
車もなくフルモデルのたびに憧れから遠くなっていくCELICAにも
全く興味が無くなっていました。はやばやと結婚し普通に生活して
いたとき2代目XXを見た時「これいいな」とちょっとドキッ。
2000GTが出た時、中学の時受けたインパクトが一気に再燃!!
はじめて車の為に貯金を開始し昭和57年白のXX2000GTを
我が手中に。当時横浜でしたので駐車場代も高額でしたが
毎日運転する楽しみ、運転しなくても見てるだけでも幸せだ
ったような。相模湖も何回か遊びにいきましたよ。ひょっとした
らすれ違っていたかも。
トラブルは1回だけで白金プラグ不良で1気筒死んだぐらいでし
た。低速で車体が揺れるは揺れる、ディーラまで必死でした。
小生にとってはとても運転しやすい車でした。それがMT車最後
となってしまいましたよ。
最近街で走っている後期型(ホワイト)をみて、「うわっ、まだ元
気だ。大事にされてるのかな?」と思いちょっと若返る小生でし
た。

投稿: syotaro | 2014.05.24 02:59

 ども、syotaroさん。
 コメントありがとうございます。また、レスが遅くなって申し訳ありませんでした。

 同じような「思い」を持っている方がいることがわかってとても嬉しいです。

 「未来から来たクルマ」、まさにそんな感じでした。正面から見るとアダムスキー型円盤を逆さにしたようなというか。

最近では都内でもさすがに見かけることはなくなりましたが、この記事のクルマのように大事に乗ってくれている人が沢山いると嬉しいですね。

 その後相模湖には行かなくなってしまいましたが、今はフォレスターで安曇野や河口湖方面に遊びにいくことが多いです。

 都内でも、あるいはどこかでお会いできたらいいですね。このXX2000GTネタで一晩は盛り上がれる気がします(^o^)v

投稿: BUSH | 2014.05.29 11:49

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