見納めとなった母校の内覧会
「むろや」を後にしてSP氏と向かったのは、二人に共通の母校。中野駅北口地区というか旧警察学校跡地の再開発と少子化による統廃合とが重なって、もう40年近くも前に通った中学校が取り壊されることになった。
今日はその内覧会。つまり取り壊す前に卒業生たちに校内を見て貰おうという催しなわけだ。同じ催しは昨年から何度かあったのだそうだけど、その知らせは私を含め卒業生の殆どには届けられずという状態だったらしい。今回がその内覧会の最後。もしも「パニパニ」でこのことを聞かなかったら、知らず仕舞いだったことだろう。
雨模様の中、行ってみると卒業生が思いのほか多く集まり始めている。お別れのセレモニーが始まる前に、取り敢えず校内を歩いてみることにした。
越境だった私の場合、娘たちはお隣の(本来の学区の)中学へ通っている。だから私にとって卒業後間もなく何度か来て以来、本当に久しぶりになる。当然記憶もかなり曖昧。それでも実際歩いてみると甦ってくるものがある。
体育館の中に入れなかったのは残念だったけど、それでも懐かしく思いながらあちこち見て回った。
老若男女が集まったお別れのセレモニーでは、ブラバンの演奏により校歌を歌うことになったのだけど、これが全く覚えていなかった。小学校のも高校のも、もちろん大学の校歌も応援歌もちゃんと覚えているというのに、何故か中学の校歌だけが全く思い出せない・・・のだけど、不思議なことに周りが歌い始めると、歌詞を見ながらなんとなく歌えてしまうという奇妙な感覚。そんなもんだろうか。
最後に風船を飛ばして(って、いいのか?なんて思いながら)セレモニーが終了。わずかな時間だったけど、懐かしくも楽しい時間を過ごすことができた。
生徒たちは一旦統合予定の中学に移り、その間に校舎を建て替えるのだそうだ。つまり何年か後には新しい校舎が出来、狭くてまともに運動会もままならなかった校庭も若干広くなるのだそうだ。そこへ改めて生徒たちを迎え入れ、移転先の中学は廃校となるのだとか。
統合と同時に学校名が変わってしまうのは寂しいことだけど、母校が残る側なのはまだいい方か。
この3/16には最後の卒業生を送り出すそうだ。残る在校生は場所も名前も環境も変わった中学で卒業式を迎えることになるのだろう。後輩たちよ、めげずに頑張れ。
そういえばパニ関連以外の知り合いや同期生には1人も会わなかったなぁ。会ってもきっとお互いに判らなかったろうとは思うけど。
この内覧会を催してくれた関係者の皆さんに深く感謝しつつ母校を後にした。・・・新校舎落成のあかつきには、また内覧会をやってくれると嬉しいな(^^ゞ
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コメント
ゼッケンNo.12の中学校ですね?
小生はNo.13の中学校でしたが、すでに統合されてその場所にも学校はなくなってしまいました・・・・・
投稿: 通りすがり | 2012.03.18 23:23
ども、通りすがり さん。
コメントありがとうございます。
ゼッケンNo.12 上手い言い方ですねぇ。おっしゃるとおりです。No.13は、そうか無くなってしまったんだ。
やはり残るだけ幸せと感じなきゃいけないな。幸い今のところ小学校も残る側になっています。聞き慣れない名前になってしまいましたけどね。
投稿: BUSH | 2012.03.19 21:30
はじめまして。いつもブログ見ている中野区民です。
BUSHさん、ここの中学校出身だったんですね。
私も同じ中学校出身(後輩ですが)で、先日の内覧会行ってきました。
こういった機会ってありがたいですよね。
投稿: | 2012.03.20 12:24
ども、NoName(中野区民)さん。
同窓生でしたか。
いつもご覧頂いているそうで、ありがとうございます。
ちゃんとした同窓会みたいな組織がない中学らしく、卒業生の殆どに今回のようなイベントの通知はできずじまいだったようです。私はなんとか行くことができてラッキーだったと思いました。
こんな機会を作ってくれた皆さんに感謝です。
投稿: BUSH | 2012.03.21 01:49