エイサーに限らずお祭りの天敵はお天気だ。路面を濡らしていた雨は常磐道に入るころにはやみ、外は曇り空。心配された渋滞も無く、会場に着く頃にはわずかに青空も見え始めた。
今年も茨城は常陸太田市で開催される「常陸太田秋まつり2009」に「東京中野真南風エイサー」が出演することになった。
中野区と常陸太田市は「里・まち連携事業」を通じて交流があり、その縁から「中野真南風エイサー」が昨年初めてこの祭りに参加させてもらうことになった。それが大変評判が良かったそうだ。二年連続しての出演依頼をいただいた。
定刻にエイサーが始まる。すると沿道に人が集まり始めた。何人かの人から「エイサーは何時から?」と聞かれてもいた。昨年初めて見たであろうエイサーだというのに人々の関心は高いようだ。
今日集まれたのは30名ほどだけど、演じ手の「真南風エイサー」のメンバーも真剣だ。中野の代表として来ているという自負と責任感、両方を背負っての演舞になる。気合も入ろうというものだ。
この800mほどの商店街を南からスタートし、途中で一度休憩を挟んでの「道じゅねー」だ。往路のバスの中では、朝からかなり盛り上がり、ちょっと心配したのだけど、杞憂だった。エイサーの正装をすると同時にみんな気合が入ったようだ。
大太鼓や締め太鼓の男たちは大きく勇壮に、手踊りの女(の子)たちは可憐に、でも力強く舞ってくれた。手踊りの掛け声は旗頭までしっかり聞こえていた。PAに負けないくらいの気合の入った声だったなぁ。
最後はメイン会場付近でのエイサー。今度は道じゅねーではなく、輪になっての演舞だ。本来はこの後、周りの人たちを巻き込んでの大カチャーシーとなる。またそれこそがこのエイサーの醍醐味であり、地元の人たちとの触れ合いになるのだけど、残念ながら時間の関係でそれは叶わなかった。
それでも集まった観客の皆さんから、惜しみの無い拍手を沢山頂戴した。ありがたいことだ。
カチャーシーができなかった代わりに、地元の子供たちとのコラボがあった。みんなでサンバを踊ろう「みなサンバ」という演目だ。この「みなサンバ」が凄い。曲も振り付けも常陸太田市のオリジナルのものだそうだ。
軽快なサンバのリズムに乗って、真南風エイサーのみんなも子供たちも楽しそうに踊っていた。アンコールもあったりして、踊り終わった子供たちも真南風の面々も、みんな笑顔だ。いいねぇ、みなサンバ、常陸太田のお祭り。
さて、これにて鯨が丘のお祭りへの参加はひと通りおしまい。
東京中野から、おおよそ 160kmほどもあるだろうか。時間にして3時間弱。帰路は渋滞にハマッて4時間強。準備や昼食の時間などを考えると、使える時間はわずかだ。できることなら、もっと時間に余裕をもってこの町に接してみたいと思った。
今回のお祭りでも、各屋台さえじっくり見て廻ることができなかったのが心残りだ。それができたら、演者としてだけではなく、もっと真南風一人ひとりのありようも伝わったのではないかと思っている。
エイサーやサンバを見て頂いた人たちには、「東京中野」と「そのエイサー」は特別なものとして心に残ってくれたような気がする。もしも来年も同じような機会を得ることができるとしたら、彼らがもう少し町の人々と触れ合うことができたらいいなと思っている。
「中野といえばサンプラザ」みたいな無機的なものではなく、「中野といえば真南風エイサーの連中」なんて言われてみたいではないか。
なおこの間、太田市役所の方々を中心とした地元スタッフの皆さんには、本当にお世話になった。着替え場所の提供から、機材運び、昼食の世話に至るまで、皆さんのご手配、心配りには頭の下がる思いだ。
昼前には副市長さんにお出迎えを頂き、帰りには市長自らお見送りして頂いた。お二方とも、少しも偉そうなところがなく終始ニコニコと応対してくれた。そんなところにも太田の人々の心根をみた気がした。
「中野真南風エイサー」のメンバーもきっと同じ気持ちだろう。そんな彼らの気持ちが少しでも伝わればと思う。彼らに多少なりと関わりのある人間として、このブログを通じて、改めてメンバーからの感謝の意をお伝えしておきたい。
最後になってしまいましたが、常陸太田の皆さん、本当にありがとうございました。来年、またお会いすることができますように。
◆常陸太田秋まつり2009
http://t-yagyu.cocolog-nifty.com/ivt/2009/10/1024252009-a4cc.html
◇常陸太田 鯨が丘商店街
http://www.kujiragaoka.com/syotenkai/index.htm
常陸太田市
http://www.city.hitachiota.ibaraki.jp/dir.php?code=3
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