そして記憶の中へ「校舎と体育館」
「母の日」。毎年この日は「都立桃耳高校※」の卒業生にとって、学年を超えた同窓会にあたる。でも今年はあいにくの雨、卒業生の出足も鈍りそうだ。実際いつもより遅めに着いたというのに会場はまだスカスカだ。どうやら雨を見越して、例年より開始時間を遅くしたようだ。同級生達が一人また一人と集まり始める。他の年代も同じようだ。最終的に私の同級生はいつものごとく15人強といったところだろうか。そして友人が持ってきてくれた卒業アルパムを見ながら昔話に花が咲くのはいつもどおりだ。
この画は裏門側から撮った本校舎と体育館である。昨年「いずれはこの古い校舎や体育館も建て代わってしまうのだろう」と書いた。我々が2年生と3年生の間過ごした校舎であり、3年間の血と汗と涙が染み付いている体育館である。それがついに今年建て替えのため取り壊されることになってしまった。
かつてあった中庭や、1年生時代を過ごした木造校舎はとっくになくなってしまっているけれど、最後に残っていた思い出の建物もとうとうなくなってしまうことになった。卒業後30数年も経てば仕方のないことだろう。
でもあの時、同時にここにあったホイッスルの音や打球の響き、ボイスコール、そしてアイツやあの娘の笑顔、あるいは泣き顔。そんな懐かしい記憶たちのお陰で、この光景を忘れることは決してないだろう。
この画は昨年と同じようなアングルから撮った本校舎と体育館へと続く道。
記念に懐かしい顔たちとともにこの場所でパチリ。また一つみんなと同じ思い出を共有することができたようだ。
そうそう、現在の校長先生のお話によると、長らく低空飛行を続けてきた受験倍率が、今年から急激にハネ上がったそうだ。それというのも制服を着たがる最近の生徒達向けに「標準服」を改訂し、生徒目線で今時のブレザーとチェックのスカート(男子はスボンね)を採用したのが功を奏したらしい。まだ学生運動の熱冷めやらぬ頃、制服の廃止・自由化を勝ち取った我々の数年上の先輩方や、学校側からの圧力をハネ退け、自由な服装で通学することを守ろうとした我々の世代からすると、まさに隔世の感がある。
さて、今年も「桃耳世代」は健在。そして今年は6学年も下の「若い」女性二人を交えて、二学年上の先輩方も一緒にそのまま二次会、三次会へとなだれ込むことになった。気がつけばもう夜の10時。なんと10時間もあれやこれやと話していたことになる。いつだって会えば話は尽きない。
※「都立桃耳高校・神様おねがい!篇」群ようこ(新潮文庫)
著者は私と同じ高校出身の二つ上の先輩。この本はその頃の高校生活がモチーフになって書かれたエッセイというか私小説です。
「桃耳世代」とは、群ようこ氏と同時期に「桃耳高校」に在学していた年代を指して言います。
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コメント
桃耳の校長のO井先生とは
武蔵小山の昼と夜(私)でよく知っております。
制服もキッチリ着用してもらうように指導するのは
結構大変なんですよ!
投稿: 黒ジャージです。 | 2008.05.12 21:40
小中高、この中で私がかよった校舎が残っているのは小のみ
(大は今どうなっているのかよく分からないのです。○田校舎)
通った校舎がないのはやはり寂しいですね
そしてうちの高校も制服がなかったはずなのに、この四月駅に行くと我が母校の旗を持った制服(標準服?)を着た生徒の姿が
制服(標準服?)ができたのだろうか?
時代は変わったのかな?
投稿: PROTO | 2008.05.13 00:27
▼黒ジャージさん
ども、ご無沙汰様です。そうでしたか、お知り合いというか・・・なんですね。
制服だからこそ「ちゃんと」着用させたくなるんですよね。ウチでも娘にネクタイをきちんと締めろとか、スカート短かすぎるとか(^^;、結構大変です。
▼PROTOさん
私の場合は小学校が、近いうちに統合されてなくなるみたい。中学は存続する側かな。校舎がなくなっても学校があるだけ増し、ぢゃない、ましと考えるようにします。
どうやら、特に女の子が制服を着たがるようですね。時代が変わったというか、当面はそんな方向みたいです。
投稿: BUSH | 2008.05.13 03:28